5歳くらいのひとはたしかに「ゆるして」と言っていた

しかるべきところに連絡をしなかったのだけど、通報みたいなことでなくても相談みたいな連絡をしたほうがよかったのではないかと、きょうもかんがえています。

「今季一番の冷え込み」から数日後。感覚としても近隣のうわさでも5歳くらいのこどもが玄関ドアの前で叫んでいるようすだったのでこちらから確認しましたところ、屋内では保護者がいるようで屋外のこどもと会話をしようとしてる声がききとれた。「(なんなん)までいれません」と、こどもが家にはいるには条件があるらしく。同じ色柄の上下の衣服を着けていて。こども。5歳くらい。総柄の長い丈の上下。パジャマかもしれません。クツなどをはいていたかは見てないか覚えてないかのどちらかで、わたしは思いだせない。

5歳くらいのひとは「ごめんなさい」と謝罪のことばをのべていて、わたしの感覚ではあれは。泣き叫んでいた。泣き叫んであやまっているこどもをみかけることは少なくないので、おかしくないできごとかもしれないと思ったのだけど。思いたかったのだけど。外にほうりだすとか内にとじこめるとかはまったくまともではないと思うのだけど、わりとあることだという感覚がなくはないという人々がいることも知っていて、とても混乱したし今も混乱するし、脈拍みたいなものが早くなるしその音は大きくきこえる。

外へ詳細確認に出ようとしたところ、会話があって和解があって「うん」「うん」と5歳のひとの声がきこえてきて。こちらからは。うなずいている風のこどもの後ろ姿がみえた。玄関ドアは開いて閉まった。5歳人は家の中です。

泣き叫ぶことばのなかに「ゆるして」ということばがあった。「ゆるして」と叫ぶのはどんなときかと考えると、わたしは殺人をみてみぬふりをした人間ということが確定する。

次回はぜったいしかるべきところに連絡しようと思うのだけど、思ったのだけど、次回を想定する人間はおそろしい人間で、今回とか次回とか。もう虐待と思ったり知ったりして、次回は今回があったから次回なのだから、次回がないのは5歳人は死んだということだし、次回は今回の殺人未遂をみてみぬふりをしたということ。逃げたい。