「長生きしたい」と思うようになるのだと思う

起床時。寝ていて目が覚めたときに自分が生きていることに気がついたら、また生きていた。なぜまだ生きているのだろう。とまいどまいど思い、つまり死にたいと思うということであまり楽な目覚めではないためうかうかうとうとできない。

希死念慮とか自殺念慮とかそういう気持ちとか考えとかを行動にうつすということは30代半ばにはほとんどなくなっていた記憶で、精神科とか心療内科とかの医師の人々が対面や書面で予想したとおりの32歳とか42歳をすごした。ちまたのうわさでも同じようなことをきいていて、自分が誰かが「憑き物が落ちた」ように「ふと気がついたら」まったく。目立った自傷行為をしなくなっていたというはなし。

わたしは。ちまたのうわさばなしに登場する人間の性質をもっていて、ちまたのうわさ人間の見本とかそのものとかかもしれない。

「女子は初潮まで」のことばのとおりになにもかもの成長が止まって落ちた。まるで中卒かのような中卒らしい中卒になった。いまはたぶん更年期障害とかの只中で、もう10年とか15年とか後に生きていたとしたら。長生きしたいと思うのだと思う。