かめのえさ

今日からおそらく29つつめ。
テトラレプトミンからテトラレプトミンスティックにしたときがたぶん28つつめで、このたびの記録の空き容器がですのでおそらく28つつめで新しいのが29つつめ。


「きょうだいの配偶者」

昨年兄が死んだのですけど、まだ1年経っておらず。兄が死んでから親族とか姻族とかの生死とか転所などがたて続けにあり。生はなかったです。死がいくつかと転院・転所がいくつもありまして、兄が死んでないときから転院はいくらでもあったから兄の死はなにかを思い出すときのマーカーの役割になっているだけで人々のくらし、わたしたちのくらしとしては前後に大きな差はなく年寄りは入退院をくりかえし死にそうな順に人は死ぬ。
兄の急死・急逝が、わたしにとって大きなできごとだったという自覚はあるけどいったいどのようなできごとだったのかは未だわからずしかし、わたしは死ぬことがこわいと思うようになっているのか目が覚めてすぐ、いつ死ぬかわからないのでいま死にたいと今朝は思った。兄の子らと親しくなる前に死にたい、死ななければいけないということをずっと思っている。


先日「弟の夫」というドラマをみて兄の妻の気持ちについてなにか気づいたような気がした。
のこされた兄の妻子については、まず困難な未来があることを想像し、そして。すぐには決断できない重要なことについてはなしたり、くだらないまったくどうでもいいことをはなしたり。そういう相手を失う、もしくはいないということがどういうことかを想像した。わたしや身近な人々や行政はなにができるのかを考えていたのかもしれません。
しかしもっとシンプルに。兄の妻は悲しいのではないかと思った。夫の死を悲しむドラマの場面をみておそらくはじめてちゃんと、兄の妻は悲しいのではないかと思った。
もしかしたらわたしも兄の死が悲しいのかもしれない。
よくわからない。兄に生命保険かけて殺人してたとしたら、できごとや気持ちがはっきりわかったのではないかと思う。


「弟の夫」は録画してたのをまとめてみたのだけど、満島ひかりさんが「荒木さんの写真はぜんぶ、愛感じる」と言ってる「写真家 荒木経惟 77歳の切実」の CM が流れてギョッとした。「その知識、本当に正しいですか?」を思い出して。


参照・参考