故人に口なし

有名とか著名とか高名とかの人が死んだあと。故人と親しくなかったという文章を目にすることがあって、自分なりにまじめにしっかりよむとたいがいいつも。そんなことない。どうよんでもあなたは故人と親しかった。故人はあなたと親しかったと思ってただろうにつき放すようなこというな。などと思っていた。もっというと。いえ。いわない。さいきん。昨年末。あれ?なんかちがうかもと思いました。まじめにしっかりよんで、どうよんでも「あなた」と故人は親しかったでしょう?と思ったのは、「あなた」は故人と親しかったからだし、「あなた」は故人と親しかったことを書いたからだと思いなおした。ちょっとわけがわからなくなってきた。

人に。生きてる人や死んだ人に、あなたとわたしは親しいあいだがらかとたずねても本当のことはわからない。「親しい」はたぶんおそらく。ちがうかもしれないけど客観で、「親しくなかった」ということは客観的にはそうかもしれないがということで、「あなた」は故人におもいがあったということを書いたのではないかと思って、むかしばなしですが。警察官とか教師とか保護者とかに「親しい付き合いやった?」とたずねられたとき、はあ?なんなん?て文字がみえてた気がする。空中かどっか。脳裏とか眼前とかに「はあ?なんなん?」てうかんだやつみえてた。自分のデコにうきあがった「はあ?なんなん?」て文字が相手にぶつかってかえってきたやつみえてたのかもしれない。はあ?なんなん?好きやったよ。好きやった。自分が。いまも好きやし。だからなんなん?相手はしらんよ。相手のことはわからんよ。

人のこと一生わからないのはとんでもないできごとでおそろしい。生きててもわからないのだろうけど、わからないまま生きていくのはなんかそれはそうだろうしふつうのことかもしれないからまあしょうがないのかもと思えるけど、死んだ人のことはもう絶対に確実に一生わからないかもしれなくて恐怖だ。生きてる人が死ぬのもふつうのことなのだろうが。

 

親しい→「したしい」と思って書いた。「ちかしい」でもかまわんが「したしい」と書いたつもり。