認知症か統合失調症かなと思った

しかしどちらもくわしく知らない。なにがあるのか知らないしなにもないのかもしれない。たとえば姪とはなしているとき気がつくと。この幼児は姪。ここはわたしたち兄妹の実家。じぶんが幼児と同じ空間にいるが異常ではない。だいじょうぶと確認している。わかりませんけど姪はとても小さいこどもであることもあってどうだかわからないけどおそらくですけど確認は発声せずにしてると思う。母がだれかわからないというかこの人はだれなのか疑問に思ったか思ってないかはっきりしないけど、これは母でもし母でなくても何十年とつきあいがある人物だと確認してそして、あなたはだれですかとたずねたらおかしいと納得するのでたぶん少しの時間ほんのちょっとの短い間、目の前で話してる人をだれかわからなくなってるのかもしれません。だいじょうぶだいじょうぶと思いながら、オシロノクチモチ(御城之口餅)の説明をきいていた。階段をおりていてのこりあと3段だと確認してすぐに。なんで?と思いながら階下に落下した状態になっていて出血はなかったが体の部分に痛みがあって、どうやらのこりの段を意識してすぐ階段をおりるのをやめたようで生きていた父が「あぶないぞ」だったか「きをつけろ」だったか言ったことがあった。目の前の人間がだれだとしても、階段からおちたとしてもかまわないと思うし困っていないのだが、老人や幼児を死なすのがイヤです。いつか死ぬでしょうけど自分が殺害とか殺人をするのはイヤで、階段をおりるのをやめたのはやめたのでいいが、窓にむかって幼児を投げたらどうなるかなとか、裁ちばさみを老人のクチに入れたらどうなるかなと思ったことがあって、次の瞬間そうしてなかったからよかったけどそうしてたらどうしようと思うし、今はやめたことが連続してるけどいつか連続が止まるんじゃないかと思うし、それでもしかしたら危険だからこれは姪だこれは母だとずっと確認してるのかもしれないとも思うけど、ふつうに一般的にだれしもこれくらいの頻度でものごとの確認をしてるのかもしれない。兄が死んだことについて兄が死んだとしょっちゅう思わないと、もともと兄はいなかったのではないかと思って、死んだことが信じられないのではなくて生きてたことが定かでない感じで、ある程度若い年齢で50歳より若くて兄は急死してさわぎになった記憶があるから生きていたと言えるのだろうけど、「ひょっこり帰ってくる気がする」というような家族の発言のときにその人が帰ってくるという名目でここに来たらだれかたぶんわからないし知らない人が来たらこわいと思う。姪もおそらくそれをだれかはわからない。もう死んでるのではないかと思う。これを記してアップしてアップされたか確認するけどそれでなにが証明されるのか。