まったくつらくないし後悔もしていない

兄が死んだことと父が死んだことを間違えたり混乱したりすることがあって、区別がついていないのかもしれないと思うのだけど、なんの区別がついていないのかはよくわからない。兄と父の区別がついていないのだとしたらたいしたもんだ、これまでよくやってこれたなと感心する。

誰が死んでもかならず後悔する自信があったがほとんど。まったくと言ってかまわないほど後悔していないことにおどろいています。よく寝てよく食べよく笑い、からだがふらつくとか目がみえにくいとか体調不良があって、それの原因も対処法もわからなくてとてもめんどうだが日々。まったくつらくなく後悔もない。夕方になると、家族がすべて帰宅するか不安になるので今すぐ死にたい。まいにち不安になって死にたくなるのでもう死にたい。

高校に1年だけ通学していた。古典の先生が言っていたのは、自分が死んでもなにも変わらず明日はくるし社会は動く。そのことが。悔しいだったかもったいないだったか忘れたけど、だから死なない。ということで、死んだ人に明日はこないだろうから、視点とか目線とかがはなしの途中で移動しているのだと思いますけど、兄が死んでわたしはすっかり変わってしまった。まるで別人のような気分です。わたしが死んでわたしが兄になったのかと考えたこともあって、だとしたら兄とわたしの区別がついていないということになるのか、ならないのか。

子宮がんでも更年期障害でもなく。婦人科のドクターが言っていたのは、自分たちは人の死を冷静に見られるからふつうの人みたいに後悔したりつらくなったりしない。ということで、しかし。わたしはまったくつらくないし後悔もしていない。ただもう死にたいとまいにち思うだけです。死にたいとまいにち思う人はいくらもいてたいしたことではなくただそれだけです。

治療か医療か。今後の方針についてドクターからはなしをきいてこたえを求められた父は「家族に任せます」と言ったそうで、このできごと思い出すと泣きそうになる気がするし、創作物なら泣かせる場面だなと思うと思うがなんでこれが泣きをさそうかはわからない。先に死ぬつもりのくせに子を作るなんて親はサイテーだと母に言った。「ほんまやな、無責任やな」と笑ってた。ほんとうにサイテーだなと思います。先に死にたいです。