母の日, 父の日, 兄の死

母の日。てぬぐい。花嵐

父の日。てぬぐい。雷様。

どれくらい前のことだったかはもう忘れてしまった。親を亡くした知人が忌引きの休暇だか欠勤だかの期間ののち出勤したところ、顔を合わす人々は次々と各々の身内の不幸のはなしをしたと言って。故人と同じ病気をしただれかや、それを看取った・看取ることができなかっただれかがかわいそうだというはなし、若い親を亡くした者、若くして親を亡くした者、親がいない者。その者たちはとても辛かったというはなしをきかされることになったと言って嘆いた。


今年の台風5号が大きな話題になってしばらくして。気がついたら看板が消えていて、すこし前、兄が路上で病死したのだけど「心肺停止の状態で発見され搬送先の病院で死亡が確認されました」という慣用句みたいな状況で、病死だろうけど「事件・事故の両面で(も)捜査しています」という慣用句みたいな状況でつまり。目撃情報を募る看板が長い、体感では3年、実際には3ヶ月のあいだ立っていた。


わたしにはきょうだいがなんにんかいるのだけど両親が共通なのはこの兄だけで、このことばはないかもしれないが同父母兄妹で。兄妹には認知症の父がいて祖母と父の介護をしている母がいて、兄には妻がいて幼い子がいて、兄と妻子には信仰があって、静かにおくりたいという両親の希望よりも優先すべきことがあって、通夜・告別式でわたしたちは300以上の人々にあたまをさげて、わたしは。兄の妻子と両親を支えろということばを数えられないほどきいた。はじめは数えてた。


どんなことを言われるかは予想していたし、過去。裁判所や結婚式場など。兄の都合でいくことになるたび。そこにいきそこにいることの覚悟をしていたし、このたびも覚悟はあったのだけどとにかく人は多く。ドラマのセリフみたいにバカみたいに同じようなことを。別々の人々がバカのひとつおぼえみたいに次々と。兄の妻子と両親を支えろとのことでして、頭がおかしくなるのではないかと思ったのだが頭がおかしくなっているのはわたしではないのではないかと思って、兄とわたしが似ていることであなたを見るとつらくなるため見ていられないと言った人に謝罪をしたとき、今のところ。頭がおかしいのはわたしではないと自信を持った。


2歳か3歳のこどもが参列していてウソみたいにかわいらしくて母が「おにんぎょさんみたい」と言ったことで、まず人がいて人形があってそして人形みたいな人がいるということを思い出して、現実のできごとがあってドラマがあってドラマみたいな現実のできごとがあるのだと思って、セリフみたいなバカみたいなことを言う人は現実にいて、わたしはバカがドラマのセリフみたいなバカなこと言ってると思いながらも現実にダメージがあって、なんかややこしいなあと思ったが。人々に創作物の影響がなければ、想像もつかないほどバカみたいなことを言う人や、なにを言うべきかわからず困惑する人などと対面することになったのかもしれない。


お供えかな。アンリ・シャルパンティエのテリーヌ・ドゥ・フリュイと京都宇治式部郷のさくら紅葉と月まどかがおいしかった。


「父はわたしが小さいときに亡くなりました」人生でなん回言うことになるのか。兄の子。そう言ったらあやまられるみたいな、なんかでみたことあるようなやりとりは未だにあるのかないのか。まあ、今世紀末にはなくなってるかな。