父の旅

数日前、父が旅立ったのですが(死んでません)、どこに行ったんだかいつ戻ってくるんだかさっぱりわからずで、父が旅行をするということを母が決めたところまでは知っていた。むかえにきてくれた車に旅行カバンをいくつかのせているときに、父が車にのせてもらっているのをみて、そして母が車にのるのをみて、ああ両親は夫婦で旅行するのだとそのとき理解して、KEIRIN のロゴの入った車に手をふりながら、いやはやどこに行くのだろう?はてさて戻ってくるのかな?と思ったと思います。

短めのことばであらわすと、わたしは頭がへんなのではないか。と、思います。まえまえからときおりそう思うことはあったし、さいきんはしょっちゅうつくづくそう思います。両親の、とくに父の旅について、わたしよりもたぶん医療や看護や介護の人々のほうがよく知っていると思います。わたしはいったいなんなのかなと、両親に、とくに母にとって、わたしはいったいどういうモノなのかと思います。母はわたしになにも言わない人だとわたしは思っていますが、だが、わたしが母になにも言わせないのかもしれず、わたしは母になにもたずねないと思っていますが、だが、いや、それはそのままで、わたしは母になにもたずねないのだろうと思います。わたしは母をなにかとやりにくい相手だと思っているのだけど、それよりも多く大きく、母はわたしをやりにくい相手と思っているのではないか、思っているのだろう。と、思う。