父の1年

父が退院してから2年くらい経った。この2年、父は毎日家で寝て起きた。病院にはなんどかいった。デイサービスにはなんどかいかなかった。祖母がとなりの市からこちらの市に転入してひと月かふた月か経った。母はほぼ毎日、祖母のすまいに通い、わたしは両親のすまいに通う。わたしのすまいには祖母が通う、というようなことはない。と思う。

わたしはだれかに暴力を、これまでしたし、これからする。囚人と看守の実験のはなしをきいたときわたしもそうなるのだと思って、虐待やいじめや体罰などについての自分自身の思い出はどこかへおいておかないといけないような気持ちになった。わたしにはなぜか囚人役っぽい思い出しかなく、それはもしかしたらいつも囚人役だったからかもしれないけど、ほかの役っぽいときのことをおぼえていないだけのような気がするし、そうにちがいないと思う。実験で囚人として看守として観察者として、どれかのなにかになったことはわたしの思い出ではないけど、同じ男として情けないとか、同じ女として恥ずかしいとか、日本人としてうれしいとか、やっぱりそもそもいちどもひとつも持っていなかった気がしてることも持っているのかもしれず。自分のことはよくわからない。
とつぜんのできごとや、予測していたできごとなどに、たいへんおどろいてびっくりする。とつぜんのできごとに対しておどろいたときに、とても大きな声が出て、その大声に自分もまわりの人々もおどろく。予測していたことが案の定おきてもたいそうびっくりするが、そのさい、どうしてだか声が出ず。まばたきとか呼吸とか、ふだん勝手にやってるようなことをやってないのかできていないと感じるのか、「息をしなければ!」と、なる。なにがどうなるのかがよくわからないけど、なる。になる。声を出すことが息をはくことだとしたら、おどろいたときに声が出るというシステムは便利だなと思います。
手をかす、肩につかまって、そう申し出ても断られるのだけど、ほとんどぜったいに父も祖母も断ったはずなのにつかんでくる。必ず断られて必ずつかまれるから予測できているのだけど、ほとんどいつもぜったいおどろく。と、すぐに、70キロとか40キロとかのチカラでひっぱられたり押さえられたりして、勝手に自動的に反射することができているのでいままで転んだり倒れたりしたことはなく、死ぬ!と、なる。殺す!と、なる。相手をふりはらったりつきとばしたりすれば死なせたりケガをさせたりすることはたぶん可能で、そういう反射もあるはずで、なぜそうならないのかわからないけど、殺意はあるのだと思う。
ついカッとして、ベッドをゆすったり、イスをけったり、杖をとりあげたり、歯ブラシをなげつけたり、床のトマトをぎったんぎったんにふみつけているところを見せたりとかをやったことは、しつけでも気合いをいれるためでも遊んでいただけでもやらないと自分がやられるからでもなく。とにかくただカッとしただけで、ひどいことをしてやろうと思ってやったのではないと思うのだけど、あのときひどいことをしたという自覚が今ある。やったことについてだれかに謝罪したことはない。自分がひどいことをする人だということを知って、知ってたけど。知ってたのにひどく落ち込んだり、やけにハイになったり、自分が被害者だと思ったり、手を洗ったり。また囚人役。殴ったほうも痛いみたいなはなしかも、ちがうかも。ついカッとしたときも声が出るシステムだったら便利だろうなと思います。


母がときどき、あんたを殺したいと思ったことがあると言うことがありそれがうらやましく、わたしもときどきそれぞれに殺そうと思ったことがあること言おうとするのだけど言えず。母は子を数人つくったことがあるので権利書を持っているのかもしれない*1

*1:Inspired by 気楽に殺ろうよ / 藤子・F・不二雄