父の帰阪

両親が旅から戻ってきてどうやら府外にいたらしく帰宅したその日に母のキッチンは金属音がひびいて翌日もうすでに油がはねて冷蔵庫のドアに食品の一部がべっとりとついていて晴れてしまってきのうは布団をたたきまくる人々が地域中にあふれかえっていたけど母はぜったいに布団をたたかないのだけどそれはわたしが布団をたたく母をベランダでいつか泣かせたことがあるからかもしれないのだけど頭がいたい首が痛いと言って病院に行くためにわたしの男のきょうだいに連絡をとって車に乗って母はきょうだいと外出してしまってそのあいだに元チカンの人が両親のすまいになにかの内祝いをほんのついさっきとどけにきてしまってわたしがいまここにいる理由は父の安全なくらしの見張りのためですから父が対応にでてしまうのはいただけないじょうきょうでわたしはもう20年か30年か40年か50年か100年か1000年ぶりに元チカン(当時は現チカン)と会話をすることになって以前いつかのすきにわたしは婚姻をしたしりしてそのお祝いなどを元チカンの人がわたしにしたのを母はうけとって内祝いを母がしたとかでそれはわたしはいっさいをかかわらずに死なずに生きてくらしていくはずのしょぞんでしたけどわたしは生徒だったり社会人だったりしたり人々に目上とかそういう人々だったりとかお世話になったからなっていないなかにかかわらず加害や被害があったかなかったかにかかわらずそれはそうするというならいしょうのようなものがありわたしはいつもだれにでもあいさつをするようなかわりものの人とおなじようでもっとおそろしい人格のようなものがそなわっていてこんばんはといわれたときはあーと返せたけどそのつづきはもたなくて一般の人間関係のような会話をしていてわたしはもしかしたら殺人とかその元チカンの人とかかわりあわなければならないときには殺人とかをするかもしれないとおもっていたけどごぶさたしていますとかおいわいをいただいたのにあいさつにもいきませんでとかいってわたしはなんておそろしい人間なんだろうと思いましたが1万年たってもそのチカラの差でもってねじふせられただけかもしれません。おーこわ。しね。