結婚式やらの招待状。
「平服でお越しください」とあったけど、冠婚葬祭にはマナーがたくさんあって、死んだ動物を思わせるようなモノは身につけないとかで、アニマルプリントやフェイクファーも NG のようすですが、人々がはく靴などは死んだ動物の皮の革でできていたりで、死んでない動物がアウトで死んだ動物はセーフで、いやしかし、ゴムでも綿でもポリエステルでも、それらの者の生命を絶っていることにはかわりはないのでしょうけど、ああそうか。生まれたことすらない動物が死んで人間の着物になっているさまは、死んだ動物が着物になるよりとてもひどいことということかもしれません。生まれた意義、生きる喜び、なにも知らないふわふわファーの小物たちのモデルになった存在しない動物たち。非実在動物。フェイクファーはアウトローで本革パンプスはアンタッチャブルといったところかもしれません。9号が、11号が入らない。人は小さくうまれてやわらかく、死体はそれなりに大きくやっかいで重いし冷たいかたいしやわらかい。「おさとが知れる」と言われたら、それはイヤミや叱責や差別やいじわるなどではなく、おどしと感じる。出身を知っている、バラしてやろうかというおどし。小さくやわらかく笑みを絶やさず誰にでも同じように接していて、まるで人でなしのようですけど、だいたいのことはだまっていればおわる。生まれる前のことについてはかばってくれる人がいるかもしれない。さがしてもいないかもしれない。生まれてからの出身は自業自得か自画自賛か自己責任かそんな感じで、おどされたら静かにそこから去るだけで、楽もなく苦もなく、じっと手をみる。むくんだ指から血がでてて、招待状などの紙は上質だなと思う。サラブレッドだ。毛並みが良い。15号の略礼服が5000円で売られてたから買うことにしました。どうか入りますように。