父のはじまり


父が、すんだ食事をすんでないと言い出すようになったらしいので、動物なんとかセンターでもらった下敷きを切り抜いて「お食事券」を作った。母が。

「お食事券」はキッチンのカゴに入っていて、食事やプリンのたびに父の部屋のカゴに移す。レストランとかとは違いまして、食事を出す人が出された人に券をわたすシステム。汚職事件を起こさないか、父にものすごく見張られているので職権乱用はできません。
父が診断された脳血管性認知症と、アルツハイマー型の認知症は、どれだけ同じでどれだけ違うのかわからないが、認知症とか痴呆とかボケ老人といえば、
「かあさんメシはまだか」→「なに言ってるの??さっき食べたでしょ!!」
というイメージをもってたってこともあり、とうとうなんかはじまったなと思った。
父のこんなようなことをなんたらかんたらと書くことについていろいろ考えることがあるのですけど、いろいろ考えておきながら、父の病名とかチヨウ個人情報なのに勝手によく書くわ!と思っていて、しかし改める気持ちはあんまりなくて、どうしたもんかなと思っています。
今、両親が育児をしてたとしたら、わたしのことをブログとかに書いていたか。わたしにこどもがいたら子のことをブログに書いていたか。育児と介護は同じか。こどもの人権と高齢者の人権は同じか。こどもの死と高齢者の死は同じか。
じいさんがミイラで発見された話題は、なぜちょっとおもしろいのか。マンションで死んでた子供らの話題は、なぜおもしろくないのか。


あとで読む(けど、たぶん理解できない)

さっき読んだ

父親のことで悩んでいるという女子高校生に岡田斗司夫が回答するアレコレ
以前、岡田斗司夫さんがテレビで「やせてから娘が一緒に歩いてくれるようになった」って言ってたのを思い出して、女子高校生の悩みへの回答の部分とかをおもしろく感じた。なぜかはハッキリとはわかりませんけど、たぶん性格が悪い感じと思う。わたしの性格。