父のてんかん 2

「すべてのてんかんがこわいわけではない」だったか「こわくないてんかんがある」だったかちゃんとおぼえていないけど、そういうのを見聞きすることが多かった日々がいつのまにやら終わってた。もともとは「てんかんこわい」というのを見聞きするのが減ったということかもしれなくて、それはまたはじまるかもしれない。


わたしが知っているてんかん発作のほとんどはクチから泡をブジュブジュと出して、それが透明になって顔をつたう。体がけいれんしてイスからずりおちる。ベッドガードはガチャガチャ音をたてる。呼びかけにはこたえない。
てんかん発作(というかけいれん)がおきている人のクチもとに触れないということを、いつかどこかでおぼえて、ずっと長いあいだ父のクチのまわりの泡をぬぐわなかった。
てんかん発作で救急車を呼ぶのは大げさすぎるということを、いつかどこかでおぼえて、それでもやっぱり救急車が来てくれないとどうにもできなくて、それでもやっぱり呼びたくなくて電話は母にかけさせていた。
こわい顔をして手すりにつかまってジーッと立っているというのがてんかん発作だというのは、その後におきる大発作でわかる。それがてんかんで、その後に大発作がおきたというのは病院でおしえてもらう。「やっぱり」と思うだけ。
発作がおきるまでずっとこわい。というのはおきなくてもこわいということ。おきてもこわいしおさまってもこわいしずっとこわい。


てんかんがこわいのは、父が誰かに加害することとわたしが父に加害すること。それがなぜこわいのかはわかりません。
10年とか12年とか発作をみない期間があったけど、わたしはずっとてんかんがこわかった。30年くらい前にはじめてみたときから一番最近の発作までずっとてんかんがこわかったし、今日の今もてんかんがこわい。「てんかんをしらないということ」がどういうくらしだったかおぼえていないし、「てんかんはこわくないということ」がどういうくらしなのか知らない。


祇園の事故だか事件だかからしばらく、母とわたしは毎日「てんかんはこわい」と言い合った。言えるようになった。
てんかんは免許もつな」というのを父に言いたかった。言えないままだった。
これは、てんかんのはなしじゃなくて家族の関係のはなしで、わたしはわたしのことがかわいそうでしかたないと思っているというはなしだと思います。