父の介護とか、わたしへの子育てとか

まずはじまっている。なにもかもよくわかっていないままということからはじまる。はじまったときがいつかわからない。
気がついたら生活をしていて、日常をくらしていて、行政とか民間とか組織の人々とかかわって「そうだったのか」と思うことでそうなんだと思うことにしたことがある。
生きているときに書面の「主たる介護人」という欄に自分のなまえが入るときがある。わたしのいまは入ってないとき。主たる育児人とか主たる飼育人とかあるのかないのかしらないけど、主たる介護人欄は世の中にあり、そこにはじめて親族のだれかの名が入った日に、それまでの日常のくらしのいろいろな部分が介護だったということを思い知った。とうぜんうすうす気がついていて、だから介護認定する人が書類もって自宅に来ました。呼んだ。
1000円札が落ちてたら拾うかとなん人かの人にたずねたら、ほとんどの人が拾うとこたえた。わたしはこれまで17円分くらいの1円玉を拾いあげた人生なのだけど、1円玉だったら拾わないという人は複数いた。針穴に糸が通せない人間にかわってそれをそうすることが、親孝行なのかヒマつぶしなのかわからないし、せまいロウカで転んでいる人間をおこして移動させることが、介護かヤッカイバライかはしらない。落ちている1000円札は拾うけど、落ちていない1000円札は拾わない。
母は以前41歳とかだったのだけど、そのときは耳が聞こえにくいとかひざが痛くて立てないとか、そういう年寄りみたいな人物ではなく、いまは相手があきらめるまで話を聞き返すし上がり框を一足では越えられない。わたしはながらく母に育児とか子育てとかをさせていて、それはわたしに初潮があったとか母が閉経した*1とか、そういうのをきっかけにとつぜん終わることなく、おそらくいまも続いている。わたしがだれかのキャッシュカードを不正に使ったら母はどうするどうなると考える。
自分が20歳とか30歳とかのとき、両親は40歳とか50歳とか60歳とかで、ずるずると子育てはつづき、じわじわと介護がはじまっていた。針穴に糸が通せないことと最寄り駅からの帰り道がわからなくなったことはぜんぜんちがうことだけど、めんどくさい気分にはかわりはないし、針に糸を通したりボタンをつけたりすることや、駅前の理髪店までむかえに行くことは、とくにどこかに記録しておくようなこともない日常のできごと。どちらも記憶から消えていないし、忘れたいとか忘れたくないとかもとくにない。
重いものが持てない、階段の昇降ができない、足のツメが切れない、自宅の電番が思い出せない、ひとりで立てない、ひとりで座っていられない、字がかけない、親族をみてもだれかわらない、しゃべらない、眠らない、食べない、起きない。わたしは15か16まで断続的におねしょをしていて、6歳と10歳と16歳のわたしのおねしょについて母のかかわり方はぜんぜんちがっていたけど、母が子育てをやめたことはないと思う。なんか、なに書きたいと思ってたのかわからなくなった。
西原理恵子さんの思いついた介護ライフハックみたいなのを読んで立腹した。どなたかとか社会とかにとって有用とか重要とかで、それはそうですかということでわたしにはかかわりあいのねえことでござんすけど、腹が立って、それはなにかとてもくやしいということかもしれません。
ひとつき40万円かかってた費用が4万円ですむようになると舛添要一さんが言ってるのをテレビでみて、そのときも腹が立った。プロに任せて就労して納税しよう!→働きたくないでござる。戦が大嫌いにござる。
わたしはいまは介護みたいなことからぬけていて、介護の現場にいないし介護の現実をしらないのかもしれません。だからか。書きたいことはないのかもしれません。
育児(子育て)と介護はくらべたりくらべられたりしつつ、そこに同時にあったりして複雑な感じがする。育児で子を殺したら極悪で介護で親を殺したら同情というのが、ワイドショーなどでは定説っぽいのでもしかして単純なのかなとも思う。親がミイラのときは苦笑。


久しぶりに入院してすぐに退院して、またすぐ入院してしばらくして退院した父はいま、いわゆる傾眠傾向というヤツになっててめんどうくさい。シャツに体液のシミみたいなナゾの点々がついてて、まいにちで、裸の肌からはなにもでてきてるようすがなくてきもい。じょくそうみてもらうときに相談するように母に念おしする。忘れっぽい。わたしは洗濯機の修理。ノーベル賞


読んだヤツ

追記
ずるずる子育てされつつ、じわじわ介護はじまって、どんどん時はすぎて、いま。そろそろわたしが老眼です。カンジンなこと書き忘れました。ねんねんひにひに忘れっぽくなる。

*1:実際に閉経したのかどうだかはしらないのでたとえばということです。

*2:西原理恵子の記事、やっぱりムカつくからもういちど読みなおそうと思ったら、全文は読めなくなっていました。