父の介護とか、わたしへの子育てとか 3

パクパクする。腹が立ってるのだと思うけど、怒鳴ったり号泣したりすることがしばしばあって、以前。このところは、なにかイヤなムードの予感みたいなのがするときには、自分の体の外には音を出さないように不満などを言うようになった。なんども思い出すのは、テレビで千鳥のノブが言ってたことで、音を空気に響かせていなくてもノドは声を出していると医療の人に言われたというはなし。ノドを安静にするために音楽をきくことも控えるように指導されたとかで、鼻や気分が歌っているだけでもノドを使うことがあるとかないとか。
不満を言葉にするのがたぶんずっと昔から上手ではないとかしたことがないとかで、話し合うということとはおそらく縁遠く。ちょうど1年前くらい。不満をたぶんだけどずいぶんためこんでいて、母に暴言をした。父がベッドでなすすべなくヨコになっているヨコで。論理的とか感情的とかたぶんどちらにもあてはまらないことをわたしは叫びはじめて、叫びつづけているわたしのクチを母が手でふさごうとした。そのときどう思ったのかをうまくでもへたにでも言葉にすることができないけど、なにか思って叫ぶのをやめたはず。
「ゆうちゃんには夢がないね」となんどもパクパクくり返す。
泣きながらお願いするという方法で、それを使おうと思って使ったことはないけど、それでいくつかのしんどいシーンを過去のものにしてきた過去がたぶんある。まったく思い出せないけどある確信がある。空気をゆらさなくてもノドは声を出しているみたいに、泣いてないけど願ってないけどそうしていた。これから未来にだれかのクチを手でふさごうとすることはたぶんある。


父がまたまた入院した。「お父さんそろそろ死ぬんかもな」と言ったら、母は、親族のだれがなん歳で死んだかというはなしを次々紹介してきた。なにか思いや考えがあってそうしてるのか、年齢や性別や地域性などのあらわれではなしをやめないだけなのか、泣いてるのか願っているのかわからない。わたしはただ「その人のはなしお父さんに関係ないやん」とくりかえす。
近隣には高齢者が多くくらしていて、たったひとりだけ乳幼児がいるようすで、すっかり寒くなってしまって泣き声が聞こえなくなってしまった。短い秋のあいだにはまいにち聞こえてた。本日ひさしぶりに泣き声がして、乳幼児の人はだれかに抱かれて外出していたのかもしれない。わたしは両手と両ひざをついて、すばらしいすばらしいと声に出してなんども言った。orz ←このポーズ。しばしして手とひざにハンドクリームをぬってから寝ました。