どの立場からなにを言うか

その立場からそれを言うか。というはなしです。その立場から?言いやがるのか!というはなし。

 

知人がひとときすまいでのくらしを失った。無事に福祉だか支援だかのルートにのってふたたびすまいでのくらしをはじめたが、世帯メンバーは全員別居となった。老若男女はそれぞればらばら各々別々のすまいでくらしている。

近隣住人が異様な光景におどろき、ご近所シンセキ(親戚)ネットワークを使ったおかげで翌日には「各団体」に連絡がはいり、翌々日には保護されたが、ひとばんは路上ですごしたとのことだった。世帯メンバーのより弱者である者から順にすまいが決まった。より弱者。社会的弱者みたいなことです。より弱者は、事態の把握がよりできていない人でもあった。世帯メンバーで事態を最も把握できてる人は、メンバー内では強者であったかもしれないが、いざ、このとき。行き先がもっとも見つからず結局、自立(?自律?)となった。

さまざまな団体。各団体。それぞれ。このような属性の者をこうする・しないとなり、その力のパワーをめいっぱいひろげて別の団体へつなぐ。労働組合が直接、児童の保護をするのではない。

大家に店子に電気屋に家族に他人に。なりたいなりたくない。なるならない。そんななにか。気持ちとか考えとか。希望とか意思とか。どうでもよく。どうでもよくなくてもどうにもならないっぽいからいま。おいといて。自分勝手とか自業自得とかどうでもよく、それらをかならず法律は無視する。法の下の平等に法が最優先でございとばかりに「絶縁してます」は無意味な発声なのでしてもしなくてもおなじ。でもとりあえず言ってみよう。いまの未来はいまではないから、いっぺん言ってみる。

公職選挙法が言うところの「公職」とはなにか。しらん。しらんが、祖父母の代から地方議員であることと、祖父母の代から住設屋であることはまったく種類のちがうことです。地方公共団体の議会の議員には、どこぞのせがれに説教できる筋はない。逆はしらん。たぶんない。「おばあさんや、ご両親をどうするつもりだったか」「あなたがしっかりしないとダメ」と「ずいぶん怒った」などと言う。せんせいマジすか?あたまだいじょうぶすか?すいません、言いすぎました。

不動産所有者は怒り、泣きのながい期間。感情的な対面を避けるため専門家を通して交渉しており、最終的に相当な負担でもって解決した。突然。交渉がスムーズになったときには大きな不安を感じ、別のアプローチも試みたという。大家も店子も家長が死んで代替わり。貸主借主ともに名義変更して、それからまた数年後。非道な大家とホームレス。そして正義の味方、地方議員。

その男性はあきらめてしまった。しかしいま。もういちど生きていくこととなった。この。その。あのできごとについて、府議や市議がすることは説教ではない。あの男性が相談できなかった現実は、個人や性別の問題ではない。ひょっとして個人や性別の問題だったとしても、男性個人に説教したことを手柄とばかりに吹聴するような府議や市議が何期も当選するような府や市の住人は不幸だ。男性が相談しにくい TPO において、それ以外の属性の者についてもかならずそうだ。この男性やわたしが不幸だったとして、それは府議や市議が原因ではない。しかし責任はある。拡大解釈しすぎかもしれないけど、ぜったいそうだし絶対そうです。