はしの家の人々


「かどの家」かもしれないけど、「角」はつながる2方向が公道に接してるイメージでそうではなくて「端」という感じ。むかしは n軒長屋 とか呼ばれる建物があったらしく長屋と長屋のあいだは幅半間ほどの生活道路があり、100(年齢)みたいな人いわく「くみとり屋が通るんや」とのことで、4軒長屋だとはしの2軒は軍人さんか公務員の家族がくらしていてあいだの2軒より間口が広い。

生物学的とか戸籍の上とかの親の人が、子の人に叱られてるだか怒られてるだかしてるのをたびたび目撃する。目撃はうそで声をきいてる。それもうそできこえてるのは叱られたり怒られたりしてる声でなく叱ったり怒ったりしてる声。いつもかならずまちがえなく絶対にかわいそうだと思い、食事したり食事介助したり排泄したり排泄介助したりしているこのあたりの多くのひきこもりの人々も、間口のせまい木造モルタル2階建ての下、和室にフローリングを貼った部屋で、リースのスリーモーターのベッドのまわりで、手すりにかこまれたトイレでそれをきいてそれを耳に入れてかわいそうだと思っているのではないかなと思う。
声のないほうの人。怒鳴られてる人はもう言われすぎで、そういうものなのだろうけど降りすぎるほど雨や暑すぎるほど陽があるときで直近ではいわゆる花冷え。長い長いあいだ声は怒鳴っていて20分か30分かと思うけどほんとうはどうせ2分か3分。怒鳴っている人はもう言いすぎでかわいそうで。おそらくたぶんこのことを後悔するのをみなが、長屋あとにくらすほとんどみな、怒鳴り声のその人も知っている。
介護認定や認知症の診断がある前と後ではみなみなさん。多少くらしがかわりほぼすべてのみなさんがいくらかたいへんすこしばかり声を荒らげることが少なくなるようすで、わたしもあった。解決とか解放とか解脱とかそういうことはほとんどないのだけど、言っても叱っても怒っても怒鳴っても仕方がないのは前後で変わっていないのだけど、前後の前のときからその予想はしていたのだからやっぱりということでしかないはずなのだけど、めがねやコンタクトレンズが変わったような体験。見え方がかわったような体験。それでもやっぱりわあわあぎゃーすかとときにそうなって怒鳴る。鳴く。泣く。←同じ?


外出の準備をしていないうえに脚が痛くて立てない人を叱るか怒るかしてる人があった。ほうっておいてほしいはずだけど外出先は病院で約束の時間があって、わからないけどとにかくこらえて、なにかを。にぎってかんで「かんにん。手、かしてもらえる?」の声があった。
死んでしばらく経過した人を移動させるとその人がいた部分の下に黒いシミがあることがあってとても強いにおいがある場合があり敷き布団や床材(おもに畳)はまるで腐っているかのようですけど、それが腐敗してるのか腐敗した人のエキスがしみ込んだだけなのかわからないけど、生きてる人が座っていた部分の下にそれがあってそれはそれと同じようなニオイがして、もしかして : 粗忽長屋