医療や介護にかかわる人々から、至急病院に行け・来いと連絡があると、いつも死亡だった。「間に合わないかもしれない」ということばが聞こえた記憶はあるけど、だれかが言ったのか自分で思っただけなのか不明で、連絡はまあまあ突然にくるけど「間に合わないかもしれない」と聞こえても気絶したり絶叫したりするほどではないので、思いもよらぬことというわけではなく、しかしそれは、自分が生きている間に死ぬ人間は必ず自分以外のだれかだという程度のことで、飲食中や睡眠中そのことについては無意識なものですから思いもよらぬというのは大げさではなく。しかし、起床するたび。毎日睡眠をとる場合は毎日。起床ごと、自分が死ぬまで自分以外のだれかが死に続けることを確認する日々です。

親族が長時間の外科手術をうけるはなしをきいたとき、呼ばれてないのに病院に行かなければならない!と声に出して言った。呼ばれて行ったらいつも親族は死体なのだとしたら、呼ばれてないのに行ったら生体なのかもと思って行ったら、手術室から出てきたその人は生体で、すでになにか話そうとしていたけど顔についてるものがジャマでそれをはらおうとしてチューブについて注意されるほど生きている人間だった。毎年、親族が死亡するループから抜ける方法がわかった。モルダーは疲れている。

病室で「ずいぶん待ったでしょう」と言われて、当人は眠っていただけ、親族は待っていただけだったと確認しあって、手術を担当したみなさんはあの寒い部屋にあの薄着で立ちっぱなしで手術しっぱなしって過酷だと思った。心付けとかしたくなるよと思った。