水伝・EM水編 02

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2009年からはじめた水からの伝言っぽいこと(水伝・EM水編 01)をやめます。

容器についてた液晶のなんだかはとっくの以前から機能せずで、浄水するカートリッジの価格がまったく身の丈にあわずで、カートリッジポットにヒビが入っており水もれがありましたがはずすとフタがまともにしまらないので仕方なくつけてて、まったくムダな人生を感じました。

10年とか経ったということだと思うが、ずっと人生でまったく理解できずにいるのは、まるなん年とかなん年目とかでこのたびもわからない。7年とか8年とかのあいだはとりたてて良いことも悪いこともなかった記憶があるがいつからか。まいとし新年の挨拶を遠慮しますというハガキを注文してと母にたのまれる。このなん年かはずっとそうしてことしもそうだと思う。一周忌のよく年は三回忌とかむずかしいルールですがそもそも「よく年」とはなんのことか。

兄が死んだ年という年が過去にありますがその年の1月4日(兄はまだ死んでいないとき)にわたしはおねしょをした。年上の親族がすごく死にます。傷病の親族は寛解することが多くありますがいつかはたぶん死にます。わたしが死ぬまでだれかがずっと死につづける。ヨッカとヨウカを混同することが多くあるので1月8日かもしれない。

兄よ!と、ときどき声に出すことがある。なぜかはわかりません。

しんじられない!と次に発する。はっきりわかっているのはつらいということです。