父の搬送

父が発作を起こした。救急車で病院に搬送してもらった。今年1回。昨年2回。うち1回は、病院の中から救急車呼んで別の病院へ搬送してもらった
25年とか30年とかの間、救急車で病院に搬送してもらった場合は、かならず入院してた(らしい)から、救急車をお願いするようなときは「もうこりゃ確実に入院する」って思ってて、同乗する家族はこっそり入院セット持ち込んで、でもポーズとして靴とかも持ってて、できすぎなくらいの準備で「本当に救急か?」と問われたら、なんか違うような気がする。

救急車の中の人のひとりの人に「何回か来てるよね」と言われて、はいすいませんと言って、「娘さん、これ持ってついてきて」と言われて、リュックと AED 持ってすいませんすいませんって言って、外ではご近所にお住まいのみなさまが不安そうな顔で集まっておられて、すいませんすいませんって言って、そしたらなんかムラムラしてきたから「生まれてきてごめんなさい」と声に出して言ってみた。
今回は ICU → HCU →退院。認知症と下肢の状態を考えたら、1日でも早く日常生活に戻ったほうが良いとのことだったので、チヨーさっさと退院させてもらった。
薬を減らしたことで発作が増えた感じらしいけど、薬の量を元に戻せば、また傾眠とかになるだろうってことで、妥協ポイントを見つけないといけないらしい。でももう疲れてきた。発作とか傾眠とかほったらかしてて父が死んだとき、わたし無実?


asahi.com:救急車、患者搬送せず引き返す-マイタウン島根」というニュース記事の、はてなブックマークのコメントを読んでたら、救急車を要請するときの罪悪感が増した。
どんなときは救急車を要請して良いのかダメなのか、どんなときが生命に危険がおよんでいるときなのか。父の担当の医師の先生には「発作が起きたらすぐ救急車で連れてきて」と言われてるので、大発作発見5分くらいで病院に電話して、ほんで 119 してしまう。父を搬送してもらってる間に、死にかけの誰かが救急車に乗れずに死んだとき、わたし無実?