父のてんかん 4

「すべてのてんかんがこわいわけではない」だったか「こわくないてんかんがある」だったかちゃんとおぼえていないけど、そういうのを見聞きすることが多かった日々がいつのまにやら終わってた。もともとは「てんかんこわい」というのを見聞きするのが減ったということかもしれなくて、それはまたはじまるかもしれない。


本当にお金に困っている人や、本当の苦学生や、本当の低学歴などというのがあるらしく、本当とかウソとか本当ではないとかマシとかのそれらがあるということかもしれず、「こわくないてんかん」という言葉にビンビンになって、それは「こわくないてんかん」のはなしをする人が「こわいてんかんのはなし」をしないことにギンギンになっていて、「すべてのてんかんが意識を失ってクチから泡をふくというわけではない」と言うということはなにを言ってるかということを考えていて、未だにわからないけど、そしてもうどうでもいいと思っていて、今のところ「こわくないてんかん」の当事者ではないということ。わたしが。「わたしは当事者ではない」と言うということは、ヤバいことなのかもしれなくて、なにがどうヤバいかはわからないし、ヤバいの意味もわからない。
「こわくないてんかん」をこわくないと言っていた人々は、今は「こわくなくないてんかん」の当事者ではないということを言っていたのかなと思った。


わたしは工場で働きたくないし、スリッパを履く生活がしたい。それはわたしは今こっちにいてそう思っているということで、こっちにいるからあっちがあるのか、あっちがあるからこっちにいるのかわからないけど、福祉の不正とか九九を言えないこととか、そんなはなしはじっとしてればいつか過ぎる。じっと待ってれば別のはなしがはじまる。じっと待てずに「こわくなくないてんかん」のことをぐちゃぐちゃ言いたくなったのは、当人ではないからかなと思った。ぐちゃぐちゃ書いてるわたしこそがあっちの人間です。


てんかん気味悪いと思っているということを書きたかったのに、なんかわけわからなくなった。
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  • ブルータスおまえもか!
  • 「出かけるのを、おやめなさい」

というタイトルがあるけど、なにを書こうとしてたのかおぼえてない。