言う人と言わない人がいる

なんか思う人となんも思わない人がいるし、なんか思ったとき言う人と言わない人がいるし、なんも思ってなくてもなんか言う人と言わない人がいる。「人」のところはもしかしたら、「とき」とか「場合」とかかもしれない。

なんやかやを片付けたり掃除したりすることはふつうだという状況があって、あまりにも片付いていないとか掃除していないとか、あまりにも片付けすぎとか掃除しすぎとか、どちらも異常で。その人々は異常者として扱われる。と思う。たぶんですけどこの数年。10年?20年?片付けとか掃除とかの基準値だか正常値だかが変わったようすで、過去に片付けすぎとか掃除しすぎだった人々の一部が正常ということになった感じする。ダイソンとかルンバとか断捨離とかこんまりとか。人気とか流行とかで、人流(←はやった?)。広く認知とか定着とかして、いわゆる。市民権を得たのかもしれません。終活とかも?親家片はそうでもない?

部屋を片付けないとか掃除をしないとか。そんな人々は大昔から当然のようにヒボウ(誹謗)されていたことでしょうけど安心していただきたいのは、安心などできませんが、片付けや掃除のしすぎ風な人もヒボウされていたということです。いるということ。ここ2、3年はググッとマシになりましたけど人生はマシになってないでしょう。

「Aする時間あるならBすればいいのに」はよくある。「よくこんなところで生活してるな」「人間のすむところじゃない」とかは、ソシリ(誹り)+ソシリ(謗り)=ヒボウ(誹謗)と思う。

ヒボウする人とされる人がいるとき、すでに両者は対立している。片付けとか掃除とかしない人としすぎな人は対立してない。