親がいないという人はそれぞれいろいろちがっていて、いくつかいくつものパターンのようなものはあるのかもしれないが、わたしがはなしを。知るということはなく。きいただけ。それは複数あってもとても少なく。つまりなにも知らない。
親がいるという人はそれぞれいろいろちがっていて。
ときどきみかける問いがある。
「自分の子が イ だったらどう思うか」
「自身の子が ロ だったらなんと言うか」
「あなたの子が ハ だとしても同じことが言えるのか」
とか。
変な感じがするけど。問われる人はこたえを知っている人みたいな気がして。いや。問うた人がどうこたえてほしいかをわかっているような気が。ちがう。期待にこたえることが言える人。とか。考える人。とか。
いや。
「自分の子が イ だったらどう思うか」
「自身の子が ロ だったらなんと言うか」
「あなたの子が ハ だとしても同じことが言えるのか」
問うてみればよい。とそう言っているだけで、問うても問われてもないのかもしれない。そんなことないか。実際にたずねられてる人はいる。もし自分の親だったらなんとこたえるか。想像してみて「こらアカン!」てなる人々はいる。
「あなたの息子が性的マイノリティならどう思うか」
「娘が性暴力をうけても同じことが言えるか」
「上司の子に同じことができるか」
想像力がないのは誰かということで、それはたぶん誰しもということなのかもと思う。
自分の親だったらなんとこたえるか。想像する。そしておわり。だれにも発表しなくていい。してもいいけど。「自分の親やったらこう言う」って発表したとき、相手がなんと言うか。どんな顔するか。おこられたりして。「そんなことないよ!」とか大きめの声出されたりして。カチンときたり、ギャフンと言わされたりする必要はない。傷つかなくていい。想像する。想像したらゾッとする人々はいると思います。たとえば。自分が被害者になるはなしはせずに、あなたが被害者になるはなしばかりする人がいる。願望かな。ゾゾゾ〜。「ぞぞぞー」で変換したらニョロがでた。
わたしがなにかを思うとき。なにを思っていないのか。自分のことしか考えられない。自分のこととしては考えられない。最低だ。ゾゾゾ〜。