あほとかばかでかまわないのではないか

いや。かまう。アホとかバカとか、どなたかに対して言うのはよくない。言われたらムッとしてカッとしていろいろな経緯の末に収監となるかもしれない。刑事施設でくらすのはイヤです。あたまが悪いとかおつむが弱いとかもよくないです。なんと言うのか。マヌケとかトンマとか。ニブイとかノロイとか。鈍(ドン)。たりない。不足。発言しなければいいだけかもしれない。

 

不器用だと表明する人のはなしをきいて、そもそもまずあほなのではないかと思うことがあった。「お客様組立品」という物品・商品を入手したさい、自分で組み立てを完遂したことがない。理由は不器用だから。結果。未遂または他者に実行させたという経験を複数回した。しかしこのたびも「組み立てサービス 2750円」を利用せず購入したとのことで、不器用かどうかはさておいて、そもそもまずあほなのではないかと思ったのです。

自らを。不器用、機械オンチ、ズボラと発信する人々がおっしゃることには、たぶんおそらくまちがいはないとは思うのですが、そのまえにそもそもまず自らをあほなのだと思うのはどうでしょう。あほではない不器用な人は「組み立てサービス 2750円」を申請するか、完成品を選択するように思う。「組み立てサービス 2750円」について「そんなのあるんですか!」とおどろいたり。おなじ人がおなじ内容に二度おどろいたり。そんな人は。なんかいろいろのことを読んでなかったりきいてなかったり、読んだ/きいたが理解するということではなかったりして、読んで/きいて理解するパワーが弱いだけなんじゃないかなと思う。「説明書?捨てた捨てた!あんなもん読むだけムダや!」と大声だす少しこわい人もいてこれまで苦労があったんだろうなと同情するけど、なんでこっちが怒鳴られなあかんねん、しるかあほ。と、カッとしそうになったけどムッとするだけにした。

「不器用」と「あほ」とはちがうのでしょうが、「不器用」と「読んで/きいて理解するのが弱い」もちがう。どっちもちがうのなら、いったんあほということではダメですか?ダメか。しかし。不器用とかよりあほのほうが実態に近いような気がするのです。気のせいか。

 

わたし自身は。たずねられてないことを熱心にこたえようとする、こたえにたどりつくまでしゃべりつづけようとするので、口数が多い、おしゃべりな人間と自他ともに認識があるのですけど、やっぱりすなわちただのあほとかばかとかで、すぐに。ほんとうにすぐ。ただちになにをたずねられてるのかわからなくなっている様子です。きいて理解するのが弱いし、読んでわかった(つもりの)こともわりとすぐに忘れる。あたまを動かしたら記憶が喪失する気がする。首の筋肉をきたえたい。

 

父はよく。あほとかのろまとかみたいなことを「女」と言っていた。「やっぱり女やな」とか「おまえも女やな」とか。将棋などの勝負をして「やっぱりあいつも女やな」などと言うので、どういうことだろうと思い出したり、考えたり。

死んでいく人のそばで働く人々は女性が多いということ。←なんかやっぱりこたえにたどりついてない。