母と会話していると死にたくなる感じがする気がする

なんども同じはなしをする。まるではじめてきくみたいに、まるではじめて言うみたいに、たとえば「大腸ガン検査は受けるか/受けたか」という旨のことを母になんどもたずねられる。数え始めてからは7回受けないことを伝えた。その半分の機会には、なんども同じことをたずねるなと怒り、なんど同じことをきけば理解するのかと責めた。本日はとうとう。ボケたのかと不安になると嘆き、不安にさせるなと命じたところ、反論の声なく。会話中に母がだまるということはたいへんに珍しいことで、ギクリとかヒヤリとかを体感しながら、じわじわ口調と話題をかえつつはなしかけたが返答なく。母の顔をみることができず、母が集めたヒモやリボンのもつれをほどいてまとめていた。

なんどもするはなしは日々年々増える。それをはなす回数も増える。なんども同じはなしをすることについて怒っても責めても変わらず。嘆いたり、命じたりすることは現状を悪くする効果があるという体験がある。手を洗う、順番に並べる、すべてに触れる、施錠の確認、梱包開梱・フウカン(封緘)開封。怒られても呆れられても泣かれても変えられない、嫌われても別れてもなにも変わらない。なんども手を洗うことにも、それから発生するなにもかもにはなんの意味もない。

数年前、兄が急死した。

母の不安を想像する。

母はわたしの健康に関心がないのだと思う。

わたしは母の健康に関心がない。

認知症の人にはもうかかわりたくないと思ってる。