差別してること

もっとも古い記憶は「中島らも」をきかされたときで、変わってるけど頭がよい人物だみたいなはなしで、なんせ「灘中灘高」だというはなしだった。まず「灘中灘高」をしらなかったのでその説明をうけたが、それは「すごい」とのことで「よくできる」とのことで「えらい」とのことで、なにひとつわかっていないところに「な?変わってるやろ」「な?すごいやろ」と同意を求められて、話者をわずらわしい人物と思った。そしてなぜか。中島さんのせいでこんなはなしをきかされるのだと思って、「中島らも」は「灘中灘高」を卒業したんだからちゃんとしろ!と腹をたてていた。

ことばをしらないし、ものごとをしらない。しかし。名詞と形容詞のセットをいくつかおぼえる。ちょっとわすれる。またなにかおぼえる。まざる。わすれる。おぼえるわすれるおもいだす欠けるまざる……

平塚らいてう」は番町生まれということをしったとき、どうせ裕福で親の金で高等教育とかうけただろう、なんか「すごい」し「よくできる」し「えらい」のだろうから、もっとちゃんとするべきだった。などと思うのです。まるでなにも思っていないみたいなワードしかないのは、おそらくなにも思っていないから。なのに腹をたてている。

 

なにもわかっておらず、なにも思ってないのに腹をたてる。←こんなんこわい。

わずらわしい人物は、わずらわしい。それだけのこと。

学歴、出生地・居住地による差別です。やめたい。