見込み以上のあほなのではないかメモ

今まで自分でこんなもんかなぁと思っていた程度を大きく超えるほど、物事を理解する能力がとぼしい。もともと。グドン(愚鈍)だという自覚はあり、過去はノロマ(鈍間)の自覚があったのですけど今はグドンという自覚です。

テレビ番組をみていたところ、画面にうつる人が「タニンゴト」と発言して、画面下には「ひと事」という文字が表示される。ということが今朝あった。以前もあった。どちらもおそらく「NHK NEWS おはよう日本」でのできごとと記憶してますけどちがうかもしれませんけど、NHK という局とかグループとかのなんかにおけるなんかは、「ことばのゆれ」みたいなのを NHK ではこんな感じでやってますってきちんと解説とか説明してた記憶あったので、NHK は「タニンゴト」の音を「ひと事」と文字であらわすのだろうな、そのことをどこかで明示してるのだろうなと思った。ら、してた

www.nhk.or.jp

これ読んで、2回読んでさっぱり理解できず。もっと読んでわかったのは、文章とか。音読しないと理解ちいさいという能力があり、つまりなにかの能力が著しく劣っているのだということですけど、音読するときに。自分には、ひと・ヒト・人・他人。すべてをぜんぶ「ヒト」と読んでしまうヘキ(癖)があるということ。もっと読んでみて表を書いてみましたところなんとなくわかった。ような気がする。もうちょっとさがす。上記サイト(?ページ?)で、重なったヤマカッコ内で紹介されてることがらがおもしろいと思った。

加齢という不治の病みたいなものにかかっており、老化という現象をさけられずにいるため理解する力がおとろえてきたと考えることもできるが、自分はこれくらいのあほだという以前の想定がおかしかったのかもしれない。20年とか30年とかの時を経て見込み以上のあほになってしまい、自分でおどろいている。最近。25年くらい前からあったが、よりヒンパン(頻繁)に、最近。目の前の人物がだれかわからなくなるということがある。他人(タニン)ではなく同居の親族で、さっきまで会話していたのにとつぜんにだれかわからなくなる。でもおそらくおかしな間柄ではないだろうという一般常識をあてはめてもとに戻るのを待つ。聞こえてくる声が自分の声だったのでおどろいたということが先週あった。自分でしゃべってる声が自分に聞こえてるときに、だれがしゃべってるんだろう?と疑問に感じてしばらく、あれ!自分がしゃべってた!とおどろいたということ。病気か障害かもしれませんね。